広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

12月今年最後の西宮剣道高段者稽古会

令和五年12月20日、今年最後の西宮剣道高段者稽古会に出向きました。行きは良いよい帰りは・・・今年最大の寒波襲来でのドライブとなりました。

ここ最近は、御兄弟のお一人の足の具合を考慮しての二か月に一回の高段者稽古会としております。楽しみにして頂いている稽古会ですから請われる儘にお伺いしております。三人夫々が本当に楽しみにしている三人だけの特別な時間であります。

先ずは剣道形であります。一時期御兄弟から刃引き(模擬刀)でとの申し出を受けてそれで行っておりましたが、現在は木刀で行っております。木刀でなけねば行えない稽古もあります。先ずは確りと木刀で打ち合いたいと考えております。木刀でも危険を伴いますので本来は、小生だけが打太刀を行った方が良いのですが・・・。お一方が、足の具合で折敷が出来ませんので・・・致し方ありません。

矢張り打太刀が師の位・・・それを再度痛感したこの日の形稽古でありました。動きの中で打べき処を打てない者が打太刀を打つべきでは無い・・・そう感じた今回の剣道形でありました。そうで無い打太刀あいてにする場合の工夫を感じました。技を変えても応じる場合、必要があります。形は活き物・・・そこは臨機応変の変化が必要であります。しかしながら五年以上稽古を続けていれば、確かに良き手応えが随所に出て来ております。これが同じ者で練り合う意義であります。形は練りあう物であり、例えば全国大会で平素稽古してない者同士で打ち合う物では断じてない。

地稽古では、何時もの様に小生がお二人のお相手をしました。足の具合が今一つの方相手に思わず出て仕舞った拳倒しで、思いもかけず転倒させて仕舞いそうになり、打ち抜ける捌きを左右に捌く事に変えました。それが考えてするのでなく、身体が自然に応じておりました。古流の居合をされている故の振り被りに拘った地稽古をされるお一人相手には振り被りを予想して遣うのではなく、その気配に応じて打ちを繰り出す事をしました。予想して遣っては恐らく振り被りで抜かれていたとおもいます。又は振り被る事で打ち其の物を防がれていたと思いますが、そこは窓が空く処に打ちを繰り出す事は出来た様です。今ひとつ振り被り始める瞬間を捉える工夫を感じました。今一段の先の継続でありましょう。

弟先生のお相手は、打ち気を少し抑えた打ちに対する応じ返しの工夫であります。全く打つ気の無い一足への対応・・・危険を感じない時の自身の心の持ち様・・・なかなかこれが難しい。自身の中でたとえ当たっても一本に成らないと感じた時のその打ちを無視する事への対応を自身に課しました。

所詮攻めの不足と感じたのか、位攻めで少しずつジリジリと道場の隅に追い詰める事を繰り返し、先打の気を放った瞬間の動きに応じて打ちを繰り出しておりました。

稽古後の反省の懇談で、小手を打たれた時の衝撃の強さに驚き、面に出る体捌きの速さに驚きを表しておりました。弟先生は、摺り揚げ面を食らった時の打ちの強さに衝撃を覚えておりました。(あんな摺り揚げ面を打たれた経験がありません)と言うその表情・・・新陰流の形稽古、剣道形が活かされていた様で嬉しく感じました。お二人共形稽古を地稽古に活かす事の重要性を再認識されておりました。打たれた技が全て形稽古から来ていると感じ入ってくれたようであります。良き一年の稽古納めでありました。

日記

広島武徳会