広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

11月最後の土曜日稽古会。

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関戸君の防具姿。

令和元年11月30日、11月最後の稽古会を行いました。先週の住吉武道館演武から戻っての初めての稽古会でありました。遠征に同行した永原君も参加でありました。

遠征に同行し、何を得て、何を反省したのか・・・ホームページの確認もしていない様では・・・何時まで経っても・・・何時に成れば物に成るのか・・・。

道場内、一門の前での府抜けた様子を晒す事を厳しい言葉を添えて叱責し、二度と戯けた様子を見せぬ様に厳命致しました。言わねば判らぬ者には、言葉をぶっつけるしか有りません。

稽古の前に関戸君の防具発注の為の採寸を行いました。私の防具を貸すのも本日が最後でありましょう。次回の稽古までには、皆の防具が揃っている事でありましょう。

稽古に入り、先ずはいまだに畳が敷かれている道場で基本打込みを木刀にて行いました。皆夫々に足捌き、体の移り身が自然に良く成って来ております。元立として更なる先を施し、さらに上の物を木刀に打込ませながら求めました。果たしてその意図を彼らは何処まで感じたで有りましょうか。

所詮、師の位の者が伝えようとしても受け取る側が未熟、無神経、其の感性が濁っていては伝えられる筈も無い。真に求める者にしか伝わらぬ事が有る。

今回の稽古では、特に其れを感じる事となりました。求めて通って来ていても時にその気が沈滞気味、感性の迷いも出る事はありましょう。しかしながら、最高の一撃の感触を共有出来なかった事は、残念で成りません。修業は一方通行では有り得ない。感動の共有無くして師弟同行は有り得ない。

その意味では廣川君とのあの感動の共有の一瞬の想い出は、やはり私の宝であります。合撃の手応えに、遂に出た知り得た愛しい様な感触に心身から喜びを発し、訴え懸けて来た愛弟子の喜々とした表情、発露は何時までも消える筈もなく小生の中に息づいております。

今回も真の合気であったなれば、その様な感動を共有できた筈の良き手応えでありましたが・・・・これも又一方通行は修業精進では有り得ませんので・・・次の機会を待つしか有りません。

日記