令和二年12月20日、日曜日稽古会を行いました。日本海側一帯で大雪の状況が伝えられる中での稽古会でありました。東北地方だけでなく中国地方でも鳥取で集落の孤立があったようで、今年の雪の降り方は異常であります。道場内も前回に増して冷え込んでおりました。
道場に皆一緒に入り、着替える前に平生の無作法を認識していない戯け者に、その所業をただしました。指摘されねば理解できぬこの者の・・・何時に成ったら自分で気が付くのか・・・そろそろ一刀両断にしてしまおうかと思う昨今であります。しかし、指摘されて気が付き、正そうと思うだけでもましではあります。自身の身近な者のせいにして(求められる修行の態度を維持できない)と切り捨てられた者よりは、確かにましではありますが・・・そろそろ無作法は大概にせよ!
体の芯から冷えた自身を先ずは一人遣いで暖気する若者達でありました。心身が紅潮してきたところで全体稽古に入りました。
基本打込では、その者の課題が浮き彫りに成り、正すべき処が如実に表れてきます。まるで燃費を気にするように遣う者・・・何時まで経ってもレーサーとしてのスポーツ気分が抜けきりません。今一度武道として取り組む事を求めました。そして拳の下がり・・・その事が精神に如何に作用するかを考えさせました。正しき所作事は、正しい精神を形成する。それが武道です。一点一画も疎かには出来ません。
兵法に入り、徐々に良くなる遣いっぷり・・・全く持って物足りぬ!初太刀の重要性を今一度正し、求めました。暖機運転など当会、当道場では無用!初太刀に全てを懸ける事を厳命しました。
その後、抜刀、地稽古と行いました。抜刀では斬り通しの袈裟を順逆共に何本も繰り返し、刃音を求めて行わせました。之までの修行で身に付けた正面の一刀両断は良き刃音をたてておりました。しかしそれが斬り通しの順逆では出ない・・・兵法に中にある太刀筋を使いこなす事を命じました。形の中で身に付けた事は、どの様な場面でも使えねば本当では有りません。別物と成らぬ様に真の遣いっぷりを求めました。
稽古の締めである防具を着けての地稽古でも然り、形稽古と地稽古が別物に成らぬ様に一つの物として取り組む事を厳命しました。どの様に攻め、打ち、捌くか・・・答えはすべて形稽古の中にあります。
先ずは地稽古で成す術もなく打たれ、突かれ、それでも逃げずに向かってゆく中で形の中からヒントを得て自得して行くしかありません。