広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

1月第三日曜日稽古会…初詣後最初の稽古会

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1月17日

令和三年1月17日、初詣後最初の日曜日稽古会を行いました。偶然にも初詣に出向いた者達での直伝稽古と成りました。この日は、昨日の暖かさから一変して真冬の寒さが戻っておりました。稽古始めの時程では無いものの、厳しい冷え込みでありました。

初詣を終え、気持ちも新たに稽古に臨む二人でありました。新年早々の粗相を厳しく叱責された齋藤君も内容はたいして変わらぬ小林君も神妙な面持ちでの参加でありました。しかしながら神様の前での誓いを胸に臨んで来ている事は察する事が出来ました。今年こそは…の気持ちで有りましょう。

早速の一人遣いに精を出しておりました。その様子を観るとは無く観ながら、阿吽の呼吸で一言添えました。

坐礼を心静かに呼吸法を一つとして行い、基本打込から稽古を始めました。何度も繰り返し行う此の打込にこそ剣の修行の神髄があります。この基本打込が出来ずして形も地稽古も有った物では有りません。この基本打込の精度を高め役に立つものに昇華せねば剣足り得ません。

それを言葉にし手本を示し、日頃から厳しく伝えて有るにも関わらず、疲れて来ると平気で拳の下がる阿呆が一人・・・厳しき叱責をしたのは無論であります。何度も何度も…大概にせぬか!指摘される前に自分で気づけ!・・・と言う事です。この者の甘さ、自分の都合の良い様に振る舞う性癖は、断じて許されざるものであります。

昨年も一見熱心に通ては来ていた物の、何処かに自分の都合の良い修行を求める者を出入り禁止(結果的に)としました。剣の修行は師弟同行・・・真の師弟関係が継続出来ねば、破門するしかありません。師の求める修行態度が継続出来ねば斬るしかない。これが古来からの戒律であります。弟子の都合など一切預かり知らぬ。独り善がりの理解、解釈など有り得ぬ。成らぬ事は成らぬのであります。

兵法では、少しずつ、しかし着実に良き手応えが出て来ております。しかしこれまた、初太刀を大切にせよ、と伝えて有るにも関わらず、徐々に調子を上げて来る・・・スポーツ的感覚にどっぷり漬かりきった悪癖であります。しかしながらこの点は、頭では理解している風はありますので・・・今少し、猶予は与えます。しかし、何時までも甘えていたら・・・。

前回は出来なかった真剣での抜刀を行いました。これも基本の振りを中心に心地よい刃音を求めて、振り込みました。二人とも徐々に良き刃音が出て来ておりました。何より振込む事で、良き体捌きが身に付きつつ有る二人でありました。真の新陰流の剣士らしい体捌きが身に付きつつあります。今の状態でも巻藁位は斬れる処までは無論来ております。しかし剣はあくまで人を相手にせねば成りません。動き、防ぎ、攻撃してくる者に対して対応せねばなりません。真の剣遣いを求めての修行が続きます。

残りの一時間余りを防具を着けての地稽古に遣いました。これまた少しづつですが、しかし着実に竹刀を振る鋭さが出て来ております。この稽古で新陰流の形稽古と抜刀で修行している事を活かし、通用する修行をして貰います。

寒さに凍えそうな稽古の始まりでありましたが、終了する頃には、体の芯から温まり、充実感に満ち足りて道場を後にしました。

日記