広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

3月最後の日曜日稽古会・・・大阪から野原君が参加

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3月28日

令和三年3月28日、三月最後の日曜日稽古会を行いました。この日は、先週の佐賀墓参に引き続き大阪から野原君が、出向いて参りました。朝から雨の一日でありました。先週の佐賀墓参とは違い、車での稽古参加でありましたので、道中は少し難儀した様であります。

それでも大坪さんのお参りが一年振りに叶い、野原君の表情はスッキリとしておりました。胸の支えがおりた様子でありました。一年余りをかけて恩人への挨拶を行う事ができた安堵感が漂っておりました。

道場に入り、挨拶を済ませると貪るように一人遣いに精を出しておりました。稽古に飢えている様子が良く伺われました。

その様子を少し眺めておりましたが、一言根幹に成る事に対しては言葉を添えておきました。熟成を待ちながらも、正しておかねばならぬ事は、見過ごしには出来ません。

正面の廣川君の前で、呼吸法を共にし坐礼を行い、基本打込から稽古を始めました。足捌きが疎かに成らぬ様に、地稽古へと続くそれを求めました。特に攻め足の使い方に気を配る事を求めました。そして軽やかな手の内・・・真の強さは、柔らかさの中にしか有りません。

兵法に入る前に斬り通す八重垣の太刀筋を木刀にて伝授しました。打ちを出せば尽きぬ太刀筋であります。その始めあって終わりなき太刀筋に玉の汗を流しなら取り組んでおりました。

兵法では本伝の太刀の中に含まれる理合、術理を深く理解し、我が物とする事を求めました。形の中の術理を地稽古に活かす・・・活かせねば真の形にあらず・・・形稽古こそが真の剣の修行で有ります。形の為の形稽古などはあり得ません。

抜刀でも基本刀法を中心に真剣にて振り込んで貰いました。愛刀(平高田)が心地よい刃音をたてておりました。

稽古の締めは、無論防具を着けての地稽古であります。相手の剣先を崩さずして、一本を取る事が叶わぬ事を、打ちを出す事自体が無謀で有る事を思い知った様でありました。何度も打とうとして剣先に弾き返され、苦悶の表情を浮かべる野原君でありました。さればと剣先を抑え、弾こうとしても何時の間にか中心を捉えらえていて・・・成す術無い状態で、しかし無意識に打込む太刀筋に一筋の光明が見えておりました。これが、地稽古の面白い処であります。

五時間余りの直伝稽古が、あっと言う間に過ぎ去って行きました。コロナ騒動も終息の気配をみせない状態でありますが、来月の稽古を楽しみに散会としました。

日記