広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

令和三年10月第四土曜日稽古会

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10月23日

令和三年10月23日、第三土曜日稽古会を行いました。この日は、直弟子達が皆都合がつかず参加出来ませんので、七段挑戦中の知人の二回目の指導稽古を許可するする事としました。

以前お世話になった道場主(故人)のお弟子さんでありますので、恩返しの意味で受け入れる事としております。

この方は、大人に成って剣道を始めておりますので、明らかに基本稽古が不足しております。その不足を剣道形を遣い合う事により身に付けるべく、少し言葉も添えて一本一本を丁寧に術理の説明、手本を示し、呼吸法を指導し、徹底的に打太刀に呼吸を合わせ、連動する事を構えに入り、解く事の所作事から理解させ、実践させました。

初めて指摘される事に目を白黒させながら・・・しかし、前回とは違い目付きは活き活きとしておりました。前回の寝ぼけたような目つきは、影を潜めておりました。

呼吸法を意識し、実践すれば、一本打つだけで息を切らせておりました。新たなる初めての感覚に目を輝かせて取り組んでおりました。しかし、知り得た事を身に付けるには、やはり10数年の修業が必要と成ります。真の継続しか道はありません。

この日は、太刀七本を途中の支障には目を瞑り、遣い通し、その後一本目から少し丁寧に手直し、手ほどきを行いました。詰め込みすぎは、本末転倒と成りますので、数本に絞りました。理解出来ていなかった事を理解させ、それを求めて数本遣い合いました。ここからが真の修行となります。時間を懸け、本数を積み重ね、遣い合う事でしか自得は叶いません。一日一本(太刀七本、小太刀三本)の形を最初から最後まで無心に遣い合う事・・・その事を10年は続けねば本物とは成り得ません。遥かなる道の始まりでもあります。

詰め込みすぎは良くありませんので、この日は四本目の巻き返しの真の遣い方を終えた処で形稽古を終了とし、一服の冷茶で喉を潤し、防具を着けての地稽古としました。

形稽古の時に指摘した打つ際の手の縮み・・・これを特に意識させ、先ずは基本打込から行いました。少しずつ意識が其処に行っている事を感じました。無意識で出来までには、少々の時間を懸けざるを得ません。何事も一つの事を身に付けるのは・・・熟成させる時間が必要です。

地稽古では、蹲踞の位置から立ち上がり・・・いつの間にか片隅に追いやられ、その場から離れる事を出来ない事に…気が付いておりましたでしょうか。

息絶え絶えに成り、打たれた小手の痛さに思わず竹刀から手は無し・・・手の痛みを取るように右手の振り出した処で本日の稽古を終了としました。新陰流の真剣での切り落とす様な一撃を確り味わった様であります。

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