広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

12月、今年最後の残心稽古会

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12月26日

令和三年12月26日、今年最後の残心稽古会を行いました。18日に行った納めの稽古会の残心稽古となりました。

少しずつ逞しさを身に付けつつある二人の偉丈夫が出向いて来ました。昨日の剣道特別稽古の後に二人を誘ってクリスマスコンサート(アルトサックスのソロ)に出かけましたが、あらためてコンサート会場で観る二人は180センチを超える大男でありました。それが、道場の中では、そうは感じない。剣を交えれば猶更小柄な状態と化す。観える。・・・そんな彼らも入門当初を考えれば、少しづつ逞しく成って来ている事も又事実。何時しか小山の様に感じる事を願っての稽古を本日も行いました。

小林君が、稽古を早めに切り上げて仕事の為に東京に旅立ちますので、平生の稽古手順を少し変更しました。

木刀での打込み稽古は、無論充分に行いました。この稽古が根幹です。外す事も端折る事も出来ません。体中から湯気が立ち昇るまで行いました。苦しくなってからの呼吸法は・・・まだまだ未熟な二人で有りました。苦しくなってこその呼吸法であります。自得を求めて言葉は添えませんでした。

兵法では、本伝の太刀のみを合気と成り、心を込めて遣い合いました。合撃、二の斬りと新陰流の根幹となる太刀筋に手応えが出始めた二人で有りました。多少拍子を外し気味と成る処も有りましたが、すこしずつ太刀筋は鋭く成って来ております。少しずつ弛まぬ稽古が実を結びつつ有ります。

次は、小林君の予定を考えて地稽古をつける事としました。形稽古を地稽古に活かす・・・彼らに課している事の理解が少し不足している事を見て取り、この日は、先々の先の先撃(殺人刀)を繰り出しました。待てば、攻め込まれ打たれ、出れば出頭を捉えられ、下がれば道場の隅まで追い込まれて打込まれる。まるで師の位である小生の打込稽古と化しました。摺り揚げ面を明らかに狙っている彼の企みを見抜き、敢えて小手ではなく、摺り揚げようとするその面に先打を打込みました。摺り揚げる間もなく打込まれ・・・呆然とする小林君でありました。

地稽古の後に何故に本日は、この様な遣い方をしたかを諭しました。之だけの攻撃力を秘めた先撃があってこその応じ技で有る事を、滾々と諭しました。世に新陰流は(後の先・・・待剣でしょう)と宣う一知半解の未熟者が多々いますが・・・応じの極致は、先々の先であります。剣道形然り・・・あれを後の先と理解している様では、未熟としか申せません。打っていけるのに打ちを絞り、相手を動かす。そこを連れ従って打ち取る・・・日本伝剣道の辿り着いた極致であります。

その境地に少しでも近づく為に・・・真の面打ちを求めて師弟同行での修行・精進が続きます。

コロナ騒動に翻弄された一年で有りましたが・・・当会に取りましては、実り多き良き一年で有りました。

正伝柳生新陰流 広島柳生会