広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

2月第二土曜日稽古会・・・廣川君月命日の稽古会

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2月12日

令和四年2月12日、廣川君月命日のこの日に稽古会を行いました。この日の稽古会の為に月命日のお参りは、昨日に一日早くに小林君と共に出向いております。

昨日のお参りの際に先にお供えされていたお花は、本日の稽古参加の齋藤君の物でありました。県外出張勤務中でありますが、代休を得て今回は少し早めに広島に戻っていたようであります。

2月に入って二人の稽古での顔合わせがやっと実現した本日の稽古でありました。見取り稽古も久々に行えた様であります。

この日は、久々の陽光が降り注いでおりましたが、それも神社本殿があります小高い丘の麓にあります本社でありますので、その陰になって程なく陰って参りました。途端に冷え込む道場でありました。

そんな中黙々と一人遣いに勤しみ、自然と身体を温める二人でありました。齋藤君は一人遣いの打込に確かに勢いが出て来ておりました。先ずは、一人遣いで出来ねば元立相手に遣える筈も有りません。しかしながら・・・人に対して遣う難しさは、又別物でありますが・・・。

少しずつしかし、確実に歩みを進める二人であります。廣川君と共に四人での稽古会を始めました。

先ずは、木刀での打込みを冷えて来た道場で全身から汗が流れ落ちるまで行いました。疲れて来ると思わず下がり気味となる拳が下がらぬ様に・・・常に木刀の振り幅に気を込め、精密なしかし勢いのある打ちを求めました。打込む木刀に届かなくとも・・・空打ちと成っても拳が下がる様では地稽古で遣えません・・・今少しの打ちの精度を求めました。打込みでは、打つ方向と、深さに気が行かなくては、単なる惰性打ちでしかありません。真の打ちを目指しての師弟同行が続きます。

兵法では、前回の良く手応えが一本目の二の斬りに醸し出されておりましたが・・・二本目以降は、僅かな力み、雑念が入り、太刀筋を乱しておりました。然程に一つの事を身に付ける事の難しさであります。所詮剣技に会得したと思える事など無いのであります。只々、まだある。まだあると求め続けて行く事にしか会得はないのでありましょう。

攻めは、基本は上から攻める・・・しかし、下から迫り上げる様に攻める攻めも有る・・・・全ては兵法の、形の中に教えはあります。手順だけのカタチ練習に成らぬ様に真の形稽古を求めて行うばかりであります。

文(あや)然り・・・この中の教えを真に理解し、遣いこなす・・・所詮地稽古で遣えねば絵に描いた餅であります。少しそこの処の伝授も行いました。しかしながらこれは地稽古で真に味合わせている事であります。・・・其の補足と言って良いかもしれません。知らされた事を知ったつもりになるこの若者達が、頭に乗らぬ様に気を配る事は、当然でありますが。知り得た事と知らされた事を遣えると浅はかにも勘違いする軽薄さを持った二人でありますので・・・。本来これも地稽古の中で、嫌と言う程味合わされているのですから・・・自身で気が付かねば本当ではありません。まだまだ感性の鈍い二人で有ります。

真剣での抜刀では、制剛流抜刀の母刀と基本刀法をこれまた心身が熱くなるほど振り抜きました。小林君はここに来て少し病の影響が出て来ておりました。心身の僅かなズレが起きておりました。之も又良き経験であります。然程に日々の生活で良き手応えを継続して出す事の難しさであります。齋藤君は感触を掴みつつある剣先の走りをこれまた少しずつ高めつつあります。彼の場合は、拳が下がらぬ様に・・・これに尽きます。

本日の稽古の締めは、無論防具を着けての地稽古であります。この日も二人共に元立の打込み台と化した事は無論であります。元立に取りましては、懸り稽古と言って良いかもしれません。基本打込と言って良いかもしれません。これまた師弟同行であります。夫々に今必要な稽古を阿吽の呼吸で導かれる儘に天の導きの儘に夢中に成って遣いう合うのみであります。

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