広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

3月、新年の道場開きなる

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3月13日、新年の道場開き

令和四年3月13日、新年9日から続いていたまん延防止宣言が3月7日に解除され、この日が道場開きとなりました。昨年までは、緊急事態宣言下でしか使用禁止と成っておりませんでしたが、広島ではまん延防止下でも全ての公共施設が使用できなくなっておりました。

時は将に春の陽気であります。窓を開け放ち、新鮮な空気を道場一杯に入れ、久々の床の感触を確かめました。この日は、自身の稽古始めとなる若者が出向いて参りました。勤め先の外出に対する対応と家庭の事情による已むを得ぬ事でありました。

心行くまでの一人遣いを楽しんでおりました。彼の額から汗がしたたり落ちるのに然程の時間は要しませんでした。

共に正面に向かい、久々の呼吸法を共にし、道場開きとなりましたこの日に感謝を捧げました。

木刀による基本打込では、やはり体の運びに多少のブレが生じておりました。打込んだ余勢で体を真っ直ぐに運ぶ・・・只これだけの事が・・・中々に難しい。何度も何度も打込みを繰りかえしておりました。相懸けの不充分さも出ておりました。対人としての稽古不足を露呈しておりましたが・・・已むを得ぬ処であります。所詮人相手にしか出来ぬ稽古があります。それも師の位相手にしか出来ぬ稽古が・・・。

兵法では、先ずは三学円の太刀を遣い合いました。当流の根幹と成る勢法であります。生涯修行し、何処までも高めて行く形であります。一見然程難しい遣い方は無いように観える形でありますが・・・一知半解の者には判らぬ味わいと面白さ、地稽古に応用できる剣の真理が多々含まれております。生涯追い求めて行く形であります。これを気一杯で遣い合いました。彼我に取りまして今年最初の三学は心地よい物で有りました。

真剣での抜刀では先ずは母刀を振り抜く彼でありました。狭い家の中では出来ぬ平生の一人稽古の不足は僅かにありはしましたが、それを取り戻す様に抜き、振り込んでおりました。心地よい刃音が何度も道場に響いておりました。特に払い揚げの太刀筋は、一人稽古の証が出ておりました。

これまた久々となる地稽古では、こればっかりは一人稽古と言う訳にも行かず・・・元立相手に対人稽古のそれも自由に打ち合う事の難しさを再認識している様でありました。最初は少し硬かった打ちも打たれ続けながらも柔らかみを醸し出す様になっておりました。

打たれながら覚えて行く・・・地稽古の求める処であります。何時の日にか元立から一本を取れる事を夢見ながらの稽古が続きます。

良き道場開き、稽古始めの一日でありました。

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