広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

4月最初の土曜日稽古会

令和五年4月1日、いよいよ本日から新年度の始まりです。この日参加予定の小林君は、急遽家庭の事情により不参加と成りました。子育てが始まったばかりの事ですから、致し方の無い事ではありますが、その後の報告が何も入らない事は致し方の無い事ではありません。遣るべき事を怠る悪癖は・・・未だ足り得ず・・・であります。揃いも揃って何時に成ったら一人前になるのやら・・・。

何はともあれ、公私ともに出向いて来る事が少しずつ緩和されつつある永原君との直伝稽古の一日でありました。

稽古開始前の一人遣いを観ながら、一つ気に成る処に言葉を添えて、手本を示し、正しました。新陰流では打つ事・・・攻撃と守る・・・打ち留め、凌ぎは、同義であります。正しく打ち留める太刀筋、体捌きを今一度正しました。

木刀による基本打込では、打ち抜けて行く小波の足捌きを今少し滑らかにするように求めました。氷の上を滑るような捌きを求めました。まだ少し異音が聴こえます。

兵法では、第一に求める合撃の手応えを何処までも求めて行きます。考えても如何ともし難い必勝の手応えを求めて師弟同行で・・・。

真剣での抜刀では、勢法ばかりではなく、あくまでも根幹と成る基本刀法を振り抜く事に時間を懸けました。正しい体捌きによる足腰刀の連動・・・これに尽きます。刃音を頼りに振り抜きました。少し踏込みの勢いに負け気味で、バランス崩す事もあった永原君でありました。常に人を相手にしている事が大前提です。

 

防具を着けての地稽古では、紺の道着袴に着替える事無く、白袴道着のままに地稽古に臨む永原君でありました。之までの稽古で汗を充分に吸い込んで、防具の藍の色落ちも落ち着いて来たと言う事であります。

面打ち、小手面の二段撃、切り返しと基本打込を行い、地稽古へと移行しました。基本打込の際に顔を覗かせていた、やや左寄りに振り被る癖が・・・地稽古では、打ち取られると言う事を嫌と言う程、味わった彼でありました。打つ太刀は、守る太刀とならねば成りません。どこまでも兵法を活かす事が大切です。兵法、抜刀、地稽古が別物と成っては、意味がありません。正しく振る事を求めました。

日記