広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

11月祭日稽古会

文化の日に稽古会を開催しました。今までならば祭日は稽古休みにする事が有りましたが10月11月と選挙、学校行事と道場使用が出来ない日が少し重なっておりますので祭日稽古を執り行いました。全国的寒波の襲来でこの日は正しく冬といって良い天候で有りました。暑い時には暑中稽古、寒い時には寒稽古と天候の寒暖に左右されず年中稽古は行われますが特に寒暖の差の厳しく稽古し難い時こそ稽古日和と思わせるような呼び名が古くから定着しております。特に寒さ厳しくなる時こそ一年を締め括る良き稽古が出来る予感を感じるのは小生だけでありましょうか。この時期になると45年になる稽古の日々が蘇り、なにやらそわそわワクワクして参ります。それ程にこの時期の稽古の収穫は多いと感じております。自身の事以上に当道場の弟子達の上達の実感に立ち会える喜びの予感を感じる日で有りました。


その予感や寒さ故に何時も以上に心身を熱く保つ稽古を行いました。勿論各人基本稽古で今まで以上にクタクタに成って貰ったのは言うまでも有りません。マスクを付けたままの者もそうでない者も負荷の状態に合わせ時間を調整し、雑念が流れ尽くすまで良き汗を流して貰いました。その間に苦しさの余り、見苦しい不細工な手の姿を見せた者の拳が何故か赤く竹刀の打込み跡が付いていたような・・・・・。気のせいかも知れません。


基本稽古の気の続きで兵法も本来道場におもむいた気が荒れぬ儘に三学を遣う当道場の通例に反し、今回は試合勢法と本伝の太刀を二本セットで行いました。熱くなった心身を冷やす事無くしかし気をしっかり胆に納める事を不立文字として課しました。その良き緊張感を各人なりに楽しみ浸っていたところ、又しても無神経なガサツナ輩が神聖な場を汚すが如く気の抜けた耳障りな足音をたて場を移動するその様子に思わず雷を落とす事に成りました。この者には足法の説明の際に道場内で例え形稽古を終え、場を移動する際にもその足捌きの稽古と心得、テレンパレンな足の遣い方(心のこもらぬ)をせぬ様に伝えておったにも関わらず、場も弁えず無神経な煩音を撒き散らすその様子に怒り心頭と成りました。一を聞いて十を知れとは言いませんが一さえも判らぬその愚鈍ぶりには呆れ返ります。小生の我慢が限界に達すると何故か師の顔が浮かぶのには少々閉口します。叩き出してしまいたいその限界値を師の笑顔が僅かばかり上げてしまいます。小生の難行苦行もまだまだ続くと言う事で有ります。その後は叱られた者もそうでない者もわが身に今起きた事を今一度問い直し良き緊張感で稽古を終了する事が出来ました。


抜刀を終える頃には日も暮れ懸かり、ますます寒気が強まり手が凍え納刀がまま成らぬ者が有りましたが、今後は抜刀でも身体が暑くなれるように修行を課して参ります。来週は博多の稽古会です。