広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

平成21年広島柳生会稽古納め

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平成21年の納会を行いました。各人各様の思い覚悟を持って臨んだ21年も本日を持ちまして公式稽古会の最終日を迎える事となりました。大阪から野原君が仕事を遣り繰りしての参加は広島にいる者に取りましても平素の稽古の有り方も含め良き刺激に成ったようです。新潟にいるより遥かに近くなったとは言え出稽古に赴く事の大変さは毎月博多に出向く小生が一番感じている事で有ります。今回の気持ちを忘れる事無く永く持続して欲しいと願っております。一回の時間は短くても数多くの稽古回数を持つ事が道のあり方であると強く思っております。平素の雑事、仕事に逃げず多くの稽古の機会を作り出して欲しいものであります。


一年の反省からくる現状の課題を強く意識した基本稽古を行いました。野原君の足腰刀と連動する遣い方の課題、不必要な踏み込み、もたれ掛かり、体の上下動等々。どれもこれも判ってはいても出来ない者に取りましては実践する事は困難を極めます。一朝一夕には出来るはずも有りません。強く意識し正して行かねば成りません。強く意識し出来るようになれば今度は無意識に行えるように訓練せねばなりません。基本一つ取りましてもが完成は有りませんので何処までも求めて行くしか有りません。一旦修行に入ればやめる事が許されない理がここに有ります。島田さんの順逆も何か摑みつつ有る事は事実でありますが、如何も摑んだと勘違いしている所が感じられました。この点が彼の今までに身に付けてしまった悪癖の一つでも有ります。安易に身に付ける事が出来ると考え違いをしているところです。ヒントを摑んだ処が出発点でありそこから真に身に付ける永き修行と言う旅路に出かけるのです。僅かな気づきを終点と早とちりしてしまい、形において一知半解の遣い方が目立ちました。腰を切る事に気が付いた等と上滑りな言葉を発する事自体がそもそも軽率であります。剣を目指すものは腹から言葉が出るまで軽々に言葉を発せぬ事です。言葉が軽すぎるのです。好美君は強く太刀筋をイメージする工夫をせねば成りません。全体像をしっかり意識し、体に連れ太刀に連れる太刀連れを身に付けねば成りません。真の太刀行きの正しさは手に宿ります。手で確認出来ますので手を正しますがそれはあくまで全体操作の帰結したものです。太刀筋をしっかり意識する事に専念して下さい。


本年最後の締めの稽古はやはり本伝の太刀を遣い合う事で納める事としました。野原君は今回は打太刀は行わず使太刀をしっかり遣ってもらう事としました。二の斬りにおける体の上下動、肘から先の動きに気を配ってもらい出稽古の成果をしっかり持って帰って貰いました。好美君は本年の中盤に悩んだ合撃の手応えを気持ち良さげに楽しんでおりました。合撃が良ければ二の斬りも良いと言う現象でありました。どうも良きにつけ悪しきにつけ前の出来事を引きづる処があります。前後裁断です。前が良かろうが悪かろうが現在ただ今に全力を尽くすのです。兎にも角にも今年最も上達した事は確かであります。島田さんも自身の愚鈍をしっかり受け止めしかし確実な歩みを見せた一年で有りました。本伝の太刀はまだまだで有りますが試合勢法には僅かな光明が見えて参りました。今後は言動が軽くなる事に留意し重厚な剣を目指して欲しいものです。


納の稽古会を無事盛会裏に終え、無礼講の忘年会へと場を移し時間の許す限り楽しい時間を共有致しました。稽古のDVDを見ながらの反省会も行い、各人の初めての歌声も披露して貰いました。一人頑なに逃げ回りその美声を出し惜しみしている者も有りましたがそれなりに人一倍楽しんでいた様で有ります。一年間良き時間を共有出来た事を感謝し散会としました。来期は二度の演武を計画しております。直前にまったが懸かる事無く油断無く精進願います。僅かでも上達がなければ出場を取り止めさせます。その様な事の無いように常に真の上達を目指して精進致しましょう。