広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

一月最終稽古会

一月の最終稽古会を行いました。昨日とは違い季節並みの冬の様子に戻った一日でありました。昨日の様な季節にそぐわない温かさですと気も緩む事も有りますが、本日の寒さは一月の締めの稽古会としては相応しいと感じました。本日は一名の見学者がありました。勿論まだどの程度の興味を示すかは判りませんので見学を主にし基本刀法の其の一を実感してもらいました。踊りや我流の類は見受けられ無かったのは幸いと感じました。居合着を持ってきておりましたので居合刀の類を出鱈目に振り回し、悪癖だけを身に付けて悦に入っている類かとも疑っておりましたが、そうでない事は双方に取りまして幸いで有りました(今後続くならば)。今後の事は双方の阿吽の呼吸で進めて参ります。


基本稽古では連続の順逆での課題の順の太刀筋の精度がかなり整ってきました。刃筋の外れた平打ちが出る事がかなり少なくなってきました。引きの相懸けからの流し返しの切先の開きも何とか頑張れるように成りつつ有ります。少し追い込まれると僅かに縮みが出る事も有りはしますが、少しずつ克服しつつ有る手応えを感じる事が出来ました。冷えた道場で薄っすらと汗が滲み出た頃に今一人が到着しましたので熱いお茶で一服を入れました。相手を変わり基本打込みをつづけましたが見学者を意識したのか平生注意指摘されている事をまるで忘れたかの様な打ちを続けておりました。自身で気づくまでかまわず暫く黙って続けさせておりましたが、下手に疲労させるだけですので仕方なく一言二言声を懸けると又初めて気が付くと言う事の繰り返しで有りました。中々辛抱我慢のいる御仁で有ります。小生自身が諦める訳には参りませんので之は之で良き修行になります。長年身に付いた独り善がりの性癖は元立を相手にしても如何しても出てしまいます。まるで打込台に対する様な基本稽古を本日も続けておりました。知らされ知りえた事を具現する事の難しさで有りましょうが真に理解できる日を心待ちに致しましょう。


兵法に入り三学の一本目の合撃が久々に気持ち良く決まっておりました。それに反して三本目が何時もは良いのに僅かに太刀筋が乱れておりました。三本続ける事の難しさで有りましょう。しかし位攻からの体捌きは今までの悩みを解消したかの様な自然な物で有りました。良き感得で有りました。八勢の合撃は体軸の歪みの件が有りますので暫くは大目に見なければ成りませんでしょう。この点は短時間では遺憾ともしがたい点で有りますので。それよりも引きの相懸けの見苦しさは看過出来ません。バタバタと逃げ回る事を解消できねば演武は尚早と断じねば成らなくなります。ここは性根を据えて取組んで貰うしか有りません。少しずつ試合勢法らしくなりつつ有りますので此処が重要です。踏ん張り処です。九箇は少しずつ三学に近づいて来ました。今暫くで演武も大丈夫で有りましょう。中段は転身が酷すぎます。出来もしないのに速く遣おうとして出鱈目な動きを繰り返しておりました。まずは大きく正しく行うしか有りません。其の後、下から、後雷刀を遣いあい兵法を終了致しました。


最後に抜刀の居合を時間まで抜き合いました。それにしても腕力も無いのに一刀両断の斬り下ろしがしっかり出来てきたのには感心しました。腕力が無いだけに力に頼る事無く振る工夫が良く身に付きつつ有ります。返ってある程度腕力の有る者のそれの不自然さが目に付く日で有りました。伝書にあるとおり剣はりょう力では如何しようもないと言う事で有ります。本日の稽古は見学者にはどの様にに写りましたでしょうか。来週は博多の稽古会です。