広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

九月博多定例稽古会

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九月博多での定例稽古会を行いました。いまだ残暑厳しい一日で有りましたが,前回点検をお願いした冷房の噴出し口が若干改善されており,前回よりはましになっておりました。その際に見学に来られていた稽古参加希望者を新たに受け入れての稽古と成りました。


先ずは通常の基本稽古をしっかり行いました。平生より広い道場でのそれは体の運びのブレが良く判ります。端から端までの移動により,真っ直ぐ体を運ぶ事の難しさ,そのブレの大きさに改めて感心しきりででありました。しかし何時までも其れではいけません。前後の体の運びは基本中の基本で有ります。特に前に精密に運ぶ体の捌きは妥協してはなりません。それも踏込み足でそれを行わねば成りません。踏込み足でそれを行えねば物の役にはたちません。返し流しは時として拍子の変化に対応できず,力みが出て,体の操作を端折る処が有りますが,概ね出来つつ有ります。待ちにならず常に先の気で遣ってほしいものであります。市原さんには先ずは一人でユッタリとした円の太刀を足腰で伸び伸びと,道場を一杯に使い行って貰いました。これが基本と成りますので今まで全ての者に行って貰い,今でも一人遣いで行って貰っている事をほぼ一時間しっかりと行って貰いました。弱冷房の効いた道場では有りますがユッタリと行うこの基本稽古がこれだけ苦しいもので大汗の出るものとは考えもしなかったと思います。今後も小生の前でそして一人稽古にて毎日少しの時間で良いのでこの動き捌きを心身に染み込ませて貰います。


兵法は本伝の太刀を遣い合いました。先ずは大調子で行う勢法を見学して貰う意味も込めてであります。合撃は一時の恐れからくるブレが消えつつ有ります。かなり良き手応えが復活してきました。二の斬りは抜刀の袈裟斬りの手応えが,ある種邪魔をして少々勘違いして遣ってしまう事が有ります。もともと感心する遣い方が出来ていたのですから遣いこなす意識が大切であります。如何しても一つの遣い方しかないと勘違いしてしまう御馬鹿なところがあります。少々呆れながらも自得を待つしか有りませんでしょう。村雲の合撃は心地よい手応えでありました。今期一番ではないでしょうか。


市原さんには基本稽古と平行して三学(とりあげ)の手順を覚えて貰う事としました。聴きなれない名前と遣い方に混乱をきたしており,途方に暮れている様子で有りましたが,かまわず何度も摺り足で遣って貰いました。今は何の意味も理解できる段階では有りませんがその必要も有りません。先ずは手順を覚える事が急務です。三時間近くを懸けて何とか五本の手順を伝えました。先輩の遣いっぷりを見学し又小生の指導を受けながら困惑君の状態でありましたが,覚えてしまえば何故あれ程困惑したのかと思える日も直ぐにくるで有りましょう。


その後市原さんには見学して貰いながら抜刀を抜き合いました。真っ向の斬り下ろしは大変良くなりました。袈裟斬りは前回程では有りませんでしたが確かにコツを掴みつつ有ります。手の歪みが消える日も近い事でありましょう。納刀も確かに良くなってきました。抜刀のある種実りの時期を迎えている様で有ります。市原さんにも時期をみて手ほどきを行って参ります。今は竹刀で木刀で確りと基本に勤しんで頂きます。