広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

四月博多定例稽古会

四月の博多定例稽古会を行いました。師の導きにより始まりましたこの地の稽古会も今回で丸七年となりました。当初の稽古場が汚れた外道どもの巣窟で有る事が判明してからは早良区のこの地が当会の常の道場となりました。来るもの拒まずしかし真に武道を修行出来ない者は断じて許さずの姿勢を崩さずに行って参りました。従いまして自然に淘汰され、小生が直伝出来る真に求める者達のみが残っての稽古会と成っております。今後も真に求める者達との交わりを絶やさぬようにたゆまず続けて行く所存で有ります。


流石にこの時期になりますと稽古を始める前の段階から身体を慣らす程度の事でも汗が滲み出てくるのを感じました。良き汗を流せる時季に成って参りました。市原さんも稽古前から可也・・・様で有りました。さらに基本稽古でたっぷりと流して貰う事としました。稽古の前の鏡相手の素振りを拝見しておりますと時にオッと思わせる遣いっぷりが出ておりましたので楽しみに元に立ちましたが、やはり人を相手にすると思わず手打ち、叩きの現象が出る事が有りました。やはりこれが人を相手にする難しさでありましょう。一人稽古は大切な修行の一つでありますが、それだけでは遺憾ともしがたい現実が有ります。剣の修行はやはり師弟同行で互いが砥石となって磨き合うしか方法は有りません。市原さんの課題は順にあります。逆に比べて太刀筋が通っておりません。その太刀筋をしっかり意識する事を求めました。兎に角正しさを求めて繰り返し繰り返し遣って貰いました。終盤は一人遣いでの良さが可也出て参りました。


兵法に移り、先ずは皆で三学を遣い合いました。先輩はやっと合撃からの迷いを脱したようで良き手応えを感じることが出来ました。市原さんも次第に感を掴みつつ有ります。二の斬りは確かに良くなってまいりました。この方が高い順より体の働きに連れ従い易いので有りましょう。斬釘の小手のとらえは如何しても自身の拳が下がりますので低くなってしまいます。今少し高い位置でとらえることを望みました。八勢は先ずは先輩に遣ってもらい手順の確認をしてもらったつもりでありましたが自身の番になると如何しても返し流しを混同して遣ってしまいます。まだまだ頭で手順を追っていますので如何しても後手後手と成ってしまうようでありました。兎にも角にも繰り返し繰り返し遣うしか手は有りません。下から、九箇を遣う間は確り見取り稽古をして貰いました。先輩は宮島の演武に向けて少しずつ気合が高まって来たようであります。最後に抜刀の立合を時間が許すまで皆で抜き合いました。斬り下ろしは各人各様に良くなって来ております。兎に角日々僅かでも愛刀との語らいをして欲しいもので有ります。振った数ほどにしか愛刀は言うことをきいてくれません。ゴールデンウィーク末での稽古を楽しみに博多を後にしました。