広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

十月博多定例稽古会

イメージ 1

十月の博多定例稽古会を行いました。市原さんも広島への出稽古から三週間になりましたが、その間この道場で確り汗を流されている様子は日々のメールで報告を受けておりました。全体稽古の前の一人遣いの様子を拝見しておりますとその間の取り組みが良くうかがわれる思いでありました。少し湿気の多い一日でありました。空調もきいておりませんでしたので下窓を総て開け放しての稽古と致しました。


基本稽古では近々の課題は理解しているようでありましたので少し時間を懸け限界まで打込みを繰り返して貰いました。元立に対すると手打ち(手首使いすぎ)やら拳が下がり体を捌けないなど次々と課題が現れて参りましたが指摘を少なめにし、兎に角休まずに前進後退の中で強い意思を持つ事を要求しました。蒸し暑い事もあり市原さんの顔がみるみる紅潮してまいりましたがかまわず続けさせました。心身の硬直しかかった状態を打破させるためには荒療治も致し方有りません。入門から丸一年が経ちましたので最早お客様扱いは出来ません。例えそれで倒れても致し方有りません。所詮武道は綺麗事のみで身に付くものでは有りません。床を這いずりまわる事が有っても止めずに懸かって来てもらいます。


兵法は三学、八勢、九箇、下から、中段と遣い合いました。勿論市原さんには三学、八勢を中心に中段の一部も遣って貰いました。八勢の中でまだウロウロするところが有りましたが論外です。何か自身に妥協をしているのでは無いでしょうか。日々の在り方を工夫するのみです。三学は二の斬り以外は良い流れに成って来ております。合撃も少しずつ感を掴んで来ている様で有りました。先輩の下からは合撃そこからの攻めとやっと途切れずに続くように成りました。ともすると合撃に囚われて一旦そこで途切れておりましたが下からの大切な処に気がとどくように成って参ってきた様であります。良き事であります。合撃に一喜一憂する事無く五本を一つとして使い切る事が最も大切な事であります。所詮人で有る身に完璧など望む事自体が思い上がりです。毎回一本に全力を尽くす事こそが総てであります。村雲の心地よい合撃の手応えで兵法を終えました。


最後に皆で抜刀の母刀及び抜打ちを時間の許す限り抜き合いました。時に小生と相対で抜いて貰いましたが、相手がいると軸のズレる処は兵法と同じでありました。相手の人中路に向かい自身の人中路を正しく運び、自身の人中路を斬り通す。この一点に集中して貰いました。しかしこれが中々至難の技であるようで有りました。しかし何処までも理想を求めて行くしか有りません。共に果て無き道を歩んで行くのみであります。


稽古後に市原さんの心使いによる食事を共にしながら本日の稽古の歓談に花を咲かせて博多を後にしました。やはり稽古後のこの一時は大切な時間であるとあらためて感じました。