広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

十月最後の土日稽古会

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十月の土日稽古会も今回の土日で最後に成ります。十一月もすぐそこに来ております。流石に一気に日中の気温も低く成って参りました。暑い暑いと言っていた日々が少し懐かしく感じる昨今であります。又しても道場に何やら持ち込もうと企んでいる気配を感じる今日この頃であります。それぐらいこの頃の道場内の冷え込みは加速的であります。


本日は六月から御縁がありまして直伝を授けおりました日向の御仁の手控えの今一冊に花押を添えて、愛弟子への伝授を行いました。役得と言えば役得でありますが平素の真摯な修行及び当会への貢献を鑑みれば当然と言えば当然で有ります。外伝とは言え甲斐先生の情熱が愛弟子への良き伝承の契機となりました。そこからの本人が思いもして無かった枇杷の木刀への御縁も嚥飛伝授へのトリガーポイントと成った事は否めません。最早始まっているのです。永原君への八勢の伝授も完了し、皆少し浮き浮きした様子の稽古はじめと成りました。


基本稽古に入りまして一人遣いの時とは様子が一変する者も有りました。やはり人を相手にする難しさと言ってしまえばそれまでですが、剣は先ずは人を相手の修行で有ります。人相手に遣えねば致し方有りません。そこを思うときには居合、抜刀だけでは真に修行に成らないと常に思います。しかし又刀(真剣)に常に慣れ親しまねば剣たり得ずとも想います。真に勢法を確りと遣い合い、其の後に必ず数本でも抜刀を抜き合う。これしか有りませんでしょう。


兵法は勿論三学からであります。それも高揚勢からであります。これが新陰流の根幹に成る勢法であります。稽古の根幹に置かねば成らぬ勢法であります。小生が常に断言している処であります。これが判らね者・・・之を阿呆と申します。その後、九箇、試合勢法そして燕飛を遣い合いました。村雲にやっと当たりが出てきました。伝授した当初は只言われるままに遣っており、その時は何気なく出来ていましたのに上達してきて迷う・・・剣とは何とも面白い物であります。永原君も伝授されたばかりの九箇に熱心に取組んでおりました。懸りの太刀に興味津々と云う処でありました。


最後に抜刀を抜打ちを数本交えながら抜き合いました。時間は短くとも必ず真剣を振っておかねば剣の修行とは申せません。竹刀遣いのスペシャリストでは剣士足り得ません。