広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

11月第二土曜日稽古会

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11月9日の稽古会を行いました。又しても敷かれっぱなしに成って仕舞った畳の上での稽古会となりました。学校の授業の都合でありますので致し方の無い事ではありますが、時代劇、チャンバラの世界では有りませんので、少々ウンザリではあります。又一カ月余り辛抱を求められます。そんな中、其々の時間を調整してつわもの達が出向いて参りました(将来の・・・)。一人遣いの時は流石に皆、板の間を求めて其々の立ち位置で励んでおりました。(将来の・・・)は少し失礼で有ったかもしれません。其々に確かに様に成って来ておりますし、逞しく成って来ております。やはり稽古は嘘をつきません。何年もの積み重ねを感じる風景でありました。感慨深い物が有りました。
 
基本稽古の中では、一人遣いでは出なかった問題点が如何しても顔を出します。一人で振っている段には出ないと処が、元立に向かえば出てきます。基本打込みを外せない所以で有ります。体捌きを伴う打込みでは、正面打ちの精度は本より、特に順逆がチグハグになる傾向が見られます。打込む箇所がバラバラに成るのはスピードに対応出来ていない体捌きに起因します。また振る事ばかりに気が行って何処に打込むかの認識が欠如している事も有るようです。所詮ユッタリとした一人遣いの未熟であります。真に正しいユッタリとした一人遣いが身に付けば、どんなスピード、鋭さにも対応出来ます。したがって剣先、物打ちは意とした処を外す事は有りません。もっと上を目指して一人遣いに精進せねば成りません。そして無心夢中に成って元立に打込みを繰り返すのみで有ります。
 
兵法に入りますと本来、三学から始めますが、本日は試合勢法から入る男稽古と致しました。基本稽古で指摘された点を意識しながら果敢に遣っておりました。打ち、返し流しの捌きは意識しながらも夢中に遣ってる分、そこそこの出来を見せておりました。課題は打留めであります。しこたま足を打たれておりました。所詮一人遣いでの甘さであります。カッコだけでは如何しようも有りません。真の一人遣いを求めるだけで有ります。
先輩は先週の勢いのまま、心地よい三学の手応えを醸し出しておりました。特に合撃、二の斬りは踏み込みからの連動に、一段上の腕操作のコツを掴みつつ有るようでした。細腕からは想像も出来ない羽音を立てておりました。之もまた初めての出来事でありました。嬉しい事で有りました。
その後九箇、小転を遣い合いました。安芸の小天狗か麒麟児か・・・何れにせよ名乗るにはいま暫~くの時間を要する気配でありました。しかし嬉々として取る組む姿は良しといたします。三学の出来に慢心せぬようにと云う剣の神様の声の儘に、村雲ではユガケを付けた小手にポンと心地良く打込ませて貰いました。打たれた先輩も思わずニッコリの良き音でありました。しかし永原君も感銘を受けていた大詰の何気無い面打ちの自然さは・・・少しだけ見事で有りました。少しだけ・・・。地稽古の面打ちに繋がる一本で有りました。
 
最後に抜刀を抜き合いました。手懸かりを避け・・・からの抜き付けの二種を求めました。どちらも鞘離れに気を凝らして抜き、付けと行えば良いだけで有ります。其処で剣先を痛めたりとばすなど所詮気配りの到ら無さで有ります。未熟の一言であり、刀を遣う資格がないとも云えます。一瞬の気の緩みも無き様に抜き合いました。