広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

11月第三日曜日稽古会

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11月16日、大竹体育館武道場にて稽古会を行いました。昨日からの土日は平生の剣道場が、地域行事の為に使用できませんでした。柳井から通っている関戸君の稽古要望も有り、久しぶりに大竹の武道場をお借りしました。毎回思う事ですが、例え数日前の申し込みでも予定が入って無ければ、占有使用を認めてくれるこの武道場は当会にとりましては大変有り難い存在であります。今回も全面を借り受けて、三時間の予定で思う存分の稽古を致しました。

それで無くともこの11月一杯に延長された五月の道場の畳問題が有りますので、ココゾトバカリニ床の感触を確りと堪能する事としました。関戸君も鏡の前を横切りながら、先ずは平素の一人稽古の復習の如く、一人遣いに没頭しておりました。平素の稽古の様子を想像しながら暫し眺めておりました。之までも何度も指摘し、手本を示し正してきた事ですが、矢張り腕の縮みは見過ごしに出来ず、正す事としました。本人も確りと自覚し頭では判っている事では有る筈ですが、身に付ける事の困難さであります。無意識に出来る様に、今は確りと意識し、ユッタリと心身に染み込ませて行くだけで有ります。基本稽古は初学の時だけではなく、生涯行う物であります。少しできる様に成れば必要無い・・・とは参りません。ましてや基本稽古の無い稽古は稽古に有らず。単なる練習です。剣の修業は稽古でなけねば意味が有りません。真の稽古を積むのみでありあます。
礼法を行い、いよいよ基本の打込み稽古に入りました。元立に対する打込みの絶対量が不足している関戸君には、当然一回々の量が増え気味になるのは必然であります。其処の処は出番を待つ控えの者も含めて阿吽の呼吸であります。繰返しの打込みで彼の顔が真っ赤に成り、滝の様な汗が滴り、やがて真っ赤な顔から血の気が引いて真っ白に成るまでには左程の時間は掛かりませんでした。・・・とその様に感じた師弟で有りました。正しさを求めながら、心身の不純物を流し去る様に、繰り返し稽古である打込みを続けました。その間、廣川君も時に立ちあがって、柔道場の鏡を相手に自身の納得出来るまで木刀を振っておりました。朝早く出向いて来ただけで、有る意味本日の稽古の意義の何割かをこなしている彼女で有りました。自身の置かれた環境で先ずは稽古に道場に出向いてくる事が第一で有ります。

平生より短い時間での稽古予定で有りましたので、本日は兵法に集中致しました。三学、九箇、小転と時間の許す限り、皆で遣い合いました。特に三学の二の斬りは先輩の此処の処、心境著しい遣いっぷりが後輩にも良き影響を与えた様で、いま一つヒントを得た様で有りました。。低い順勢の打ちに、如何しても一節付けて仕舞う遣い方に一条の光を見出した様で有りました。前回で手順はすべて伝授された九箇は、之からが本当の稽古に成ります。少しずつ阿吽の呼吸で直伝稽古を行って参ります。小転では之も又隻手の太刀の遣い方に勢いの出てきた先輩の雰囲気を出そうとしていた様ですが、これは直ぐには無理です。先ずは正しさを求めて、ユッタリと足腰刀の連動を染込ませるしか有りません。身に付けば自然に鋭く振れる様に成ります。熟成です。速成は踊りに堕す事に成りかねません。
廣川君も疲れやすい体調ながら気迫を喚起し、朝早くから遠くまで出向いて参り、今現在出来る限りの稽古をし、充実した清々しい顔で稽古を終えておりました。小生のみならず接した者皆が安堵と清々しさを共有できる物で有りました。