広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

2月最後の日曜日稽古会


平成30年2月25日、2月最後の日曜日稽古会を行いました。先週の稽古を止むに已まれぬ事情で参加出来なかった関戸君もある種晴れやかな雰囲気での参加でありました。此処の処、寝不足気味の永原君、いよいよレースシーズンの始まった小林君も忙しくなった合間を縫っての参加でありました。
互いの挨拶もそこそこに夫々のルーティンに則っての一人遣いに精を出す皆で有りました。
夫々の遣いっぷりを観ながら日々の精進の様子を観るのも楽しみの一つであります。この場合、殆ど言葉を添えない事が多いのですが、この日は何故にか小林君に拳の位置についての言葉を添えて仕舞いました。此の事が、此の日におきてしまう彼の失態不始末の予兆とは・・・・後の祭りとはこの事でありました。
しかしながらこの日は、当会に取りまして忘れがたい喜ばしい出来事が起きた日でもありました。それは・・・座礼の一時の事でありました。好美君の写真を前にしての黙想の時・・・小生の呼吸法に・・・初めてその日の稽古参加者の呼吸が同調しておりました。皆の呼吸が一つと成り、一つの呼吸に溶け込む様に、誰一人ぶつかり合う事無く、一つの乱れなく、一本の張りきった絹糸の様な滑らかさ、美しさで同調しておりました。
座礼が終わり、立ち上がり、小生が発した(初めて呼吸が揃ったな)と言う言葉にそれぞれが無言の返答を返しておりました。皆に取りましても得難い感触で有った事が観て取れました。
正しく合気を感じ合えた一時でありました。この様な感覚を共有し合えるのが形稽古・・・剣の修業の醍醐味であります。三学の一本にこの様な感覚手応えを求めて只管遣い合う一門で有ります。

この様な忘れがたい尊い日に、逆の意味での忘れがたい粗相をしでかす戯けがいるのも又、人の世の習いかもしれません。未熟な若者とは言えない年齢に差し掛かかった者の軽率な発言は、日を改めて無論説教タイムを設けた事は言うまでも有りません。馬鹿は死なねば直らぬ・・・であるならば、一度成敗してしまうかとも・・・。手の掛かり過ぎる阿呆の存在は・・・難行苦行の日々ではあります。師の位に有る者としては!